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イブイブ [自堕落ぶり]

けっ、二日間のお祭りが、いつから三日間のお祭りになったんだい。僕は今日も今日とて、買ったばかりの24インチモニターの前で、キーボード、打ってます。しかし、ブラインドタッチのミスが多い。世の浮かれ気分に手元が狂ってらあ。
病んでます。週刊誌記者のソウルメイトに言われます。
「いったん、宮崎帰った方がいいんじゃないすか」
無事、一段落したら帰ろう。でもその前に、WBCの最終合宿の取材で宮崎に行けたらいいな。
それじゃ休暇になんないね。

昼、久しぶりに笑っていいともを見ていたら、上地雄輔氏とはるな愛氏が「今年ブレイクした芸能人」とかいうくくりで共演してた。
僕も頑張んべっ。

宮崎あおいさん [もろもろ]

って、かわいいね。初めて思いました。
今週のアエラの表紙です。すさんだ僕をいやしてくれます。
現代の肖像「上地雄輔」を読んでいただいた方、感想をお待ちしております。
できれば褒めてください。僕は褒めて伸びる子です。
けなされたら凹みます。

しかし、原稿がくるちい。書けども書けども、原稿の枚数は増えていきませぬ。
担当編集の方が「ミリオン狙える」と本気でおっしゃる。
最初は、この時代にミリオンなんてと話半分に聞いておったのだけれど、
取材を進めていくにつれ、そして何度も「ミリオン」と編集の方がおっしゃるにつれ、
自分まで本気になってしまったですよ。でも、くるちい。明日にはめどをたて、金曜日までにがっつり仕上げる。それをここに誓います…。たぶん。

で、もう一冊はというと、担当編集のきっしーが「賞を狙える」とおっしゃるですよ。
それは僕自身もそれ相応の取材内容だと思っておりやす。
でも、スケジュールがずれこんでいく、ずんずんと。
こちらは正月を返上して、書きまくりますので、もうちょい待って、きっしー!

一番先に決まっていた仕事が、こうして後回しになっているのはほんと申し訳ない。
ごめんよ、きっしー。
すべてが終わって関係にヒビが入ってなかったら、
大奥という魅惑の場所に連れて行ってあげるから、気を長くして、待ってちょ。

アエラ・現代の肖像「上地雄輔」 [掲載誌情報]

もっぱら更新は、掲載誌情報というのは嫌な感じですが。来週月曜日、22日発売の週刊誌「AERA(アエラ)」の現代の肖像で、上地雄輔氏のノンフィクションを書いています。なかなか面白い感じではないかと思ってるので、ぜひ読んでみてください。ここで何度も書いておりやすが、現代の肖像は一番大事にしている仕事。いっつも、校了すると、書籍一冊分ほどの労力を使ったような感じでして。今回は、超売れっ子、今年一年の芸能界の顔が取材対象ということもあって、周辺の方々も含めてスケジュールが厳しかったけれど、なんとか、肖像の体裁は保てたかなあ。
校了をもって、なかなかいい年でした、といきたいとこなのだけど、今、書籍を二冊、抱えています。とりあえずはタレント本の完成を一刻も早く! 年越しは、来年2月ぐらいだな、この感じだと。ごめん、きっしー。
んで、とりあえずの予定。
12月、1月は書籍を死ぬ気でがんばる。2月は、自著の校正とWBC準備。3月はWBC取材、って方向に行きたいです。でえ、それが終わってえ、印税が入ったりなんかしたりしてえ、バカンスぅ、みたいなあ。そうだな、次はヨーロッパかなあ。メジャーに取材を兼ねて行くってのもいいねえ。そいでえ、秋は石井くんのデビュー戦をラスベガスで取材、て行きたいっす!
今年の振り返りはまた後日。
上地雄輔ノンフィクション、よろしくです。

月刊現代 [掲載誌情報]

ここ数日、家にいる間は、そわそわした気持ちでいた。玄関の向こう側でなにか音がすると、郵便が届いたかな、とすぐに飛び出した。そろそろ、あれが届く頃かと思っていたわけだ。
あれとは月刊現代の最終号(09年1月号)である。1日発売の月刊誌だから、25日が過ぎたあたりから、そろそろ見本誌ができて、著者への発送もすぐだろうと思って待っていたのだ。掲載誌が届くのをこのように楽しみにしているのなんて、ほんと、フリーになったばかりの初仕事(03年9月)以来だと思う。

楽しみにしていた、というのとは違うな。そこで僕は二ページのコラムを書いている。内容はまあ、読んでもらうとして、僕が気にしていたのは、大先輩方の記事が並ぶ中で、編集部の求めるレベルに達していたのかどうか、記事が並んだときに大先輩の原稿に比べて恥ずかしくないか、ということだ。もう何度も何十回も読んだ原稿だけど、とにかく活字になった姿を早くこの目で確かめたかったのだ。

で、届いてみての感想。やばいね。表紙にまで名前が載ってた。
いつの間に、そんなに偉くなったの、おれ、って感じ。誤解せぬようお願いしたいけど、別に自慢したいわけでなく、何か編集者の方々が勘違いなされているのではないか、そう思えてならないのだ。
まだまだな筆力しかないのに、これまでごまかしごまかしやってきただけなのに、たったの五年の経験しかないのに、あんなノンフィクションの先輩方と名前を並べるなんて、恐れ多いです。自分にそこまでの実力があるなんてこれっぽっちも思えないや。

でも、42年の歴史があるノンフィクション雑誌の最終号で、ああやって仕事させてもらったことを一つの勲章にして、目先の仕事をとにかく頑張ろうと強く思った次第。
これからも講談社を裏切らないようにやんなきゃ。


パソコン買いました。メモリ増やして、ワードもちゃんと自分で購入して、ATOKも最新版にして総額30万ほど。痛手だけれど、書籍二冊を抱えている現状を鑑みるに、MacBook(ノートパソコン)では作業もスムーズにいかないと思ったわけで、購入に踏み切った。幸い、古い故障したパソコンから、データだけは取り出すことができた。初期化すればまだ使えるだろうけど、もう気持ちは新しいパソコンにシフトしちゃったから買うことにした。で、古いやつは今年いっぱいでデザインの仕事をやめるお母ちゃんにプレゼント。

近況報告 [もろもろ]

またまた、ご無沙汰していました。多方面より、「更新しろ」との声をいただいて、意外と読んでもらえているんだとうれしく思ってはみたものの、いかんせん、バタバタしてまして。
週刊現代の反響はそれなりにあって、いろんな電話をもらいました。母親と兄からそれぞれ、新聞の広告で名前が載っているのに驚いて電話してくるってことも。そりゃ、驚くわな。おおむね、皆々様、好意的な感じだったので、良かった良かった。でも、これまで付き合いのない雑誌や業界からの連絡みたいなのはなかったなあ。実は期待していたんだけど。

その影響もあったのか、一つ、タレント本の仕事が入った。これが急を要する仕事なんだ。やるか断るか迷ったのだが、せっかく以前、一緒に仕事をしてくださった方に紹介してもらった仕事だし、ぶっちゃけ、化ける可能性もある仕事だと思ったので、チャレンジしてみることにした。

一昨日、昨日と、埼玉と千葉に出張。近県だけど、とんでもないスケジュールで動かなければならなかったので、いずれもホテルに泊まったのだった。急遽決まった、本関連の取材に加え、年末に発売予定のアエラ「現代の肖像」の取材もまさにピーク。そしてそしてずっと続けている高校生たちを描く単行本の取材も佳境。老体ならぬ、デブ体にむち打っております。
今年の年末は、基本的にこの3つしか仕事しません。できません。忘年会、断る勇気を持とうと思います。いや、行けるようなら行きます。……いやいや、一次会、あるいは二次会だけでも参加、という形でも。

この3つの仕事をすべて成功裏に終わることができたら、なんか、次の世界が見えてくるような気がしている。

次にいつ更新するか分からないので、活動報告。
来週発売の月刊現代の最終号で記事を書いています。考え抜いた原稿なので、ぜひ読んでみてください。

週刊現代「石井慧」インタビュー [掲載誌情報]

ご無沙汰ですね。先週土曜日から、一週間、大阪〜名古屋に行っていました。土曜日、大阪で石井君をインタビューし、日曜日の試合後にもインタビューし、月曜日は祝勝会&転向記者会見を取材し、火曜日はホテルで原稿を書いて、水曜日は名古屋・ナゴヤ球場である野球人を取材してそのままホテルで原稿を書き、木曜日は校正して、その後、別な大事な原稿を一本書いて、金曜日に東京に戻ってきました。

一週間、久しぶりにがっつり働きました。
で、明日発売の週刊現代の、たぶんトップで石井慧独占インタビューをやっています。初めての週刊誌のトップ記事。みなさん、読んでね。

で、6日の木曜日、32歳になりました。この日はずっとホテルに缶詰だったんだけど、この記念すべき日に、とある雑誌の2ページのコラム?エッセイ?を書いた。短いけれど、ちょっとおそれおおい感じの仕事で、実は、ここ1カ月近く何を書いたらいいのか迷っていたのだけれど、結局、旬な話題で作ってみた。
これまで、コラムというか、エッセイのような原稿はほとんど書いたことがなかっただけに、書いてみて、あんな事書いていいのかとか、面白いのかとか、疑心暗鬼になるわけで。そんなときに、編集の方になんか優しくされると、妙にホッとしたりして。
まだ詳細は明かせないので、発売となったらご報告します。

レッドソックス! [観戦記]

アメリカンリーグチャンピオンシップ第5戦をテレビ観戦。まさに奇跡的というような勝ち方でレッドソックスが戦績を2勝3敗にした。0−7になったときは、もうあきらめてコーヒーを飲みに喫茶店へ行こうと思ったんだが、やっぱり缶コーヒーですましてテレビを見ておこうとしたのよ。それが大正解。この試合の流れをまず作ったのはめった打ちの松坂をリリーフし、5回からの2イニングをほぼパーフェクトに抑えた岡島だろう。7回にデルカーメンとパベルボンで2点をさらに追加されちゃったけど、5,6回で点を取られていたら、もう逆転する余力はレッドソックスには残されていなかっただろうね。
それにしても、オルティズの3ランはふるえたなあ。去年、ボストンに行ったときに見たオルティズのホームランは、これまで見たホームランの中で最も早くスタンドインした飛球だったと思う(最も長い滞空時間は北京五輪のイ・スンヨプのホームランかな)。今回のホームランも、飛球の軌道をとらえられているカメラは一台もなかった。
しかし、同点に追いついた時にアナウンサーが言った「これで松坂の負けはなくなりました」というようなコメントはいらんだろ。そんなことをここで語る必要はないでしょうに。別にこの試合に限ったことではないけれど、イチローの通算安打とか、勝ち負けにこだわったような報道は、なんか不快に思っちゃう。松坂の負けを打ち消したのはむろん松坂ではなく、レッドソックスの選手たち。そっちをたたえるべきだし、今日のゲームならば、パベルボンを7回に投入したフランコーナの采配とか、クリスプの粘った末の同点タイムリーとか、語るべきシーンはもっとたくさんあったと思う。せっかく、与田さんが解説しているのに。
第6戦はタンパベイだし、まだ1勝のアドバンテージがあるけれど、両チームの心理状態としては、レイズの方が追い込まれるよね。オルティズは調子に乗るだろうから、あとはバリテックとエルズベリーの復調を待つだけだ。

またフェンウェイパークに行きたいなあ。
さて、仕事しよ。

サイパン報告などなど [あそび]

サイパンって、わずか3時間の距離(時差1時間)だし、海が澄み切っていて、バカンスとしては最高の地だった。初日、シュノーケリングして、ビーチやホテルの施設のプールサイドでずっと本を読む。そいで夕方5時に布団に入って、翌朝まで眠りこけた。東京にいて、十時間以上寝ることなんて、絶対にない。どんなに酔っぱらっても、5〜6時間で起きてしまう。深夜に到着して朝から海にいた疲れたのもあるんだろうけど、なんだかんだで北京&北京その後の仕事の疲れもやっぱりあったのかも。こういう贅沢な時間の使い方をサイパンではしたかったのだ。

2日目は、バンザイクリフをはじめとする戦場跡のツアーに参加。今回のメインの目的だ。バンザイクリフでは、家族の写真を海に放り投げ、慰霊碑に線香を供える。俺の写真はなし。だって写真嫌いだし、サイパンに訪れているのは自分だから、写真なくてもおじいちゃんも分かってくれるでしょ。ただ、天気がよくなくて残念。
昼過ぎにホテルに戻って来るも、外はどしゃぶり。夕方のサンセットクルージングまで待つ。そして、17時に船着き場へ。カップルや家族連ればかりだろうから、夕食セットは注文せず、お酒の飲み放題だけで乗船。案の定、ひとりだけぽつんとなっちゃったから、船首付近でウォッカをひとり飲む。すると、奥さんが日本人で、サイパンでいろんなツアーのインストラクターをやっている「レイ」(このクルーズでも船員の仕事をしている)と仲良くなった。なんぱなヤツで、女の子だけで訪れる日本人とアバンチュール三昧らしいのだが、なんだか面白くって、「この後、飲みに行こうぜ」となる。で、クルージング後、ホテルで待機し、21時に待ち合わせ場所へ。車に乗って、サイパン島北部に向かうも、行き先は分からず。車一台が通れるぐらいの穴が空いた森に入っていく。周囲は真っ暗。ちょっと、やばいかも、と思ったら明かりが見えてきて、到着すると、そこではレイの家族のホームパーティが開かれていた。褐色の肌の男性ばかり10人ほど。日本語をしゃべれるのはレイだけ。すぐ側は海。観光客が絶対に訪れない隠れスポットらしき風情。レイのお父さんに自己紹介すると、バドライトを飲みながら「うちの叔父も戦争で死んだ。日本にもアメリカにも世話になり、板挟みだった」というようなことを、たぶん、しゃべっていたと思う。そいで、「ミウラさん(三浦和義)は最高ね」と、訳の分からんことも言っていた。バーベキューではサイパンの魚が焼かれていて、あんまり海外で魚は怖くて食べないんだけど、勧められて断るわけにもいかず食す。これが美味。4匹も食べちゃった。
2時間ほど過ごした。その間、何より怖かったのは、彼ら一家が飼っている犬たち。大型犬ばかりなのだけど、肌というか毛色が変色していて、明らかに病気を患っている様子。もし噛まれでもしたら狂犬病……とずっとびびっていたのだった。一家に別れを告げ、ホテルへ。レイにロシア人のストリップショーに誘われ、行きたいとも思ったけど、酔っぱらったのでやめた。ほんとです。

最終日は、マニャガハ島へ。ダイビング、2本。体験ですが。3時にホテルに帰り、プールでもう一泳ぎ。夕食はガラパン地区で。甘い誘いに目もくれず、ホテルに戻って出発の深夜1時半まで就寝。しかし、寝過ごしてしまい、JTBの人に起こされ起床。だいぶ、他の人たちを待たせてしまった。

そんなわけで、バカンス終了。成田に到着してすぐに書籍取材のため、某高校の練習に参加。精力的だけど、自宅に戻れば、麻雀。火曜日の祝日も麻雀。木曜日は、もう10年ぐらい前にバイトをしていた無印良品の友達と会食。二人とも(女性)、子供が生まれて、幸せいっぱいです。彼女たちの息子にいやされ、夜は夜で恋する六本木で飲んだくれ、週明けからの仕事本格復帰に英気を養ったのだった。日曜日の今日は、これから健康的に、麻雀です。勝てるかな。


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ホテルの部屋から。ホテルは旧ニッコーホテル(現・パームスリゾート)。ここは建物が古く、経営者が今後も変わるみたいで、あまりうまくいっていない様子。やめた方がいいです。おすすめは、アクアリゾートクラブかな。

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バンザイクリフ。ここで多くの日本兵が自害したのだった。

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マニャハガ島です。無人島なのだけど、昼間は観光客やインストラクター、日本人がいっぱい。

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レイ家族と。こういう体験はひとり旅の醍醐味だな。

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ハヤシッペの息子のユウワくん。手足がプニュプニュでした。

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ホリオさんちのモリトモくん。「おっちゃん、DS買って」と言われた。「じゃあ、トモちゃんの幼稚園の先生を紹介してくれたらね」とバーター取引。

17日〜21日の連絡は携帯電話に

編集者の皆々様。本日、サイパンへ行ってきますが、今回、パソコンを持参するのをやめました。それゆえ、お仕事の連絡などは通常の携帯電話の方にお願いします。パソコンが荷物になるのと、実は、自宅のデスクトップが死んでしまいまして、もしマックブックに何かあれば、今後の作業に支障を来すので、今回は辞めました。ま、仕事があれば持っていくんですけどね。

とにかく、デスクトップが死んじまった。パソコンに詳しい友人に症状を話すと、「おそらくハードディスクが壊れている」と。どうやら初期化しなければならんらしい。北京前に、過去に書いた原稿などはマックブックにもコピーしていたんだけれど、ここ7年ぐらいのデジカメデータがすべて入っていて、これを消すのがなんとも、なんともやるせないのである。ほとんどプリントアウトしていないから、結局、何も残らないという始末である。無念。
日頃、データのバックアップ作業を怠っちゃダメですね。皆々様。
それでは行ってきます。

バカンス! [あそび]

そういえば、長いこと、長期の休みみたいなのを取っていなかった。フリーになって5年。まあ、毎日が仕事であり、仕事がなければ休みみたいなもんだから、あんまり休養しようと考えることはなかった。北京五輪が終わり、その後のいくつかのありがたい仕事を終えて、落ち着いたところで、17日からサイパンに行ってきます。誰と!? ええ、ひとりですよ。南の島で、何もしないのが目的。海辺で本を読んで、昼間から酒を飲んで。3泊5日。

で、なぜサイパンかというと。母方のおじいちゃんが亡くなった地なのだ。おじいちゃんは昭和17年に戦死していて、今も海の中に眠っているのだ。あれ、うちの母ちゃんもおばあちゃんのお腹の中にいて会ったことがないんじゃないかな。そいでいて、我が家族の中では誰もサイパンに行ったことない。だから、おばあちゃんと母ちゃんが元気なうちにサイパンの写真を見せたくってね。お線香もあげたくってね。俺が行こうじゃないかと思い立ったわけ。バカンスと、ちょっとした親孝行の旅ですわ。

今回の旅で、ほんとうはボストンにも行こうかなとも思った。でも、とにかくサーチャージが高い。航空券は6万円ぐらいだったけど、燃料費がそれ以上の7万円も取られるのだ。サイパンから行くというのも考えたけど、それなら日本に帰ってから改めて向かった方が安いということで、それならいいやとあきらめたのだった。

明後日、出発です。
あ、数日中にサイパンでは三浦和義氏の身柄移送など、いろいろ動きがありそうだ。なんというタイミング。週刊誌のみなさん! 僕はサイパンにいますよ!! お仕事しますよ!!!


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