SSブログ

鈴木桂治、中村美里、中田翔×由規 [掲載誌情報]

只今、掲載誌が発売中。まず「スポルティーバ」(集英社)で鈴木桂治と中村美里のノンフィクションを、週刊朝日別冊「甲子園」で中田翔と由規の対談をやっています。スポルティーバには北京五輪のテレビガイドも付いているので、ぜひ北京観戦の参考に。わたくし、国際映像によく映るので(てゆうかよく目立つ!?)、テレビの向こう側にいる僕を探してください。ちなみにシドニーでは10秒間ほど抜かれました。しかも、篠原信一氏の誤審の時で、山下泰裕氏が抗議している次の瞬間、ぼーっとしている自分が写った。帰国後、師匠に「仕事しろよ!」と怒られた。

今日は、朝にアエラの原稿(第2稿目)を一旦仕上げて送り、午後は航空券の発券のために大門へ。慌ただしく動く最中、今度は携帯電話の調子が悪くなり、あちらの声は聞こえるものの、こちらの声が届かぬという状況に。この携帯電話をそのまま北京で使う予定なので、すぐにドコモショップへ駆け込む。案の定、修理が必要で「2週間ほどかかります」と。「来週出発なので何とかしてください。北京のために、機種変更したんです」と言ってみる。すると、なんと、「今回は特別に新しい同じ機種と交換いたします」とのこと!!! ドコモ、いいね。しかし、海外渡航は毎度毎度、ドタバタ劇。

ビザも揃い、航空券も支払いし、BIMC、ジャパンハウスの申請も通って、あとはチケット問題だけなのだが、どうも道が開けていかない。シドニーもアテネも現地に行けば普通に2〜3千円でチケットが売られていたのに、今回は北京がどうなっているのか、判然としない。しかも、日本で購入できる野球の決勝のチケットは4万5千円……。なかなか手が出せないよ、そんな金額じゃ。だけれど、日本のテレビ局はそんなチケットを続々と購入していくという。いいホテルに泊まり、予算をいっぱい使って、取材対象を囲い込むテレビのやり方は、いつどこで一緒になっても辟易する。週刊朝日の人に「今週号、面白かったです!」と言ったら、「あれ、僕じゃないんです」と。失敗。

今週中にはチケットのめどを立てたいな。
帰宅後、シャンプーとコンディショナー、ボディソープに加え、旅行用の歯ブラシやお泊まりセットを近くのドラッグストアで購入。一緒に、トイレットペーパーを買ったのだが、なんと460円。高っ! すげえな、原油高。

新刊発売情報と取材、そして市橋達也容疑者 [掲載誌情報]

双葉社から発刊の「知事、まさか今夜もピザですか!?」が本日発売です。昨日は、夕刊フジをはじめ、多くのスポーツ紙で取り上げられていた。でも、いろいろと波紋が広がっているようで。その多くで暴露本と書かれているけど、この本には暴露という二文字はいっさい書かれていない。暴露本と期待されちゃっても困るけど。
ま、ご一読いただけると幸いです。

さて、先週月曜日に小川直也の原稿を仕上げたあと、しばしの痛飲生活を送り、週末からは取材ラッシュ。まず金曜日に自宅より徒歩3分の国士舘中学・高校で北京代表の鈴木桂治の恩師お二人を取材。これまで何度も酒席を共にさせてもらったけど、改まった取材は初めて。新しい話も聞けて、原稿への意欲も増大。こちらは来月末発売のスポルティーバです。

土曜日は、まず名古屋。元PL学園高校監督の中村順司氏を取材。これは北京五輪の開幕直前に発表する「アエラ」の現代の肖像の宮本慎也選手関連。高校時代の彼を取材。中村監督には親切に対応いただいた。現在、監督を務めている名古屋商科大学からの帰り道、車で送っていただいた。そこで、中村監督にお会いしたらどうしても話しておきたかったことを伝える。
「僕の出身は宮崎県都城市なんです。KK時代のPL対都城高の一戦のおかげで、都城の読み方は知れ渡ったし、都城といえば『野球が強い』と言われるんですよ」「ああそうですか。私も忘れられない試合です」と。
センバツの一戦は、延長となりサヨナラエラーでPLのサヨナラ勝ち。都城高校の理事長がPLの卒業生ということもあり、中村監督はエラーをした都城の選手のその後の将来を気に掛けていたという。いろいろな噂があったが、その選手は卒業後、宮崎で働いており、後年、中村監督と選手は再会したという。中村監督は度々都城を訪れ、講演することも多かったらしい。
高校野球界の名監督に、今度、僕が執筆する書籍の相談。「できあがったら、ぜひ読んでください」と言って別れる。

名古屋から今度は大阪へ。一泊し、翌日正午から宮本慎也選手のご両親を取材。当初、断られたのだが、なんとか頼み込んで、半ば強引にインタビューを実現。僕はなぜかアスリートの両親を取材する機会が多いのだが、宮本選手のお母さんは、とりわけ際立つ存在感。メディアが苦手なご様子だが、アエラの原稿でこのお母さんの教えを書いたら、きっと北京ではお母さんに取材が殺到するだろう。お母さんの教えと、宮本選手のリーダーシップ。つながった。

新大阪へ。14時頃発ののぞみで東京へ戻ったのだが、その車中の文字ニュースで大阪駅で通り魔事件があったことを知る。新大阪駅と隣の大阪駅は通らなかったので、混乱を目にすることはなかったが、僕が新大阪駅にいた時間は、事件の約30分後。この段階で犯人は捕まっていなかったけど、新大阪駅は平然としていたように思う。

月曜日、23日。朝から不愉快な電話。今さらそれはないでしょうと憤慨。一日、振り回されて、夜は双葉社に行って打ち上げ兼打ち合わせ。
飯田橋へ向かう電車の中で、NOVA講師だった外国人女性を殺害し、現在も逃亡している市橋達也容疑者に似ている男性がいた。指名手配写真ほど目つきはするどくないのだが、なんとなく顔の骨格が似ている点と、もう一つ、自分なりの根拠で疑いを持ったわけだ。もちろん、確信はない。だから問い詰めることもできない。「市橋さんじゃないですか」と聞いて、違っていたら人権侵害だろう。でもさ、誰かが疑わないと、見つかる人間も見つからない。下車予定の永田町を通り過ぎても、その男性は車中に。とりあえず僕も降りずにいた。仲の良い記者にメールで相談していると、電車は九段下へ。その男性は降りていく。実は、その時、写真を撮ろうとしていた。携帯電話だから、画像の悪い写真よりも動画の方がいいかなと思い、動画に切り替えようとしていたら、その男性は降りていく。早足でエスカレーターをのぼっていき、改札を出たところで見失う。だから携帯には後ろ姿しか映っていない。

こういう場合、どう対応すればいいのだろう。たとえば巷に指名手配写真が貼られている。街中でそれらの人物に似ている人間がいたとしても、100%の確信を持って、「容疑者だ」と断定できることなんて不可能なのではないか。身近に容疑者に似ている人間がいる。確信はなくとも、警察なりに相談する。結果、別人であったとしても、そういう疑いを持たなければ、逃亡中の容疑者など見つからないのではないか。

どうしようかと思ったが、九段下の駅員に「外国人教師を殺害した容疑者に似た人がいました」と言ってみた。すると九段下の駅員は「ああ、そうですか」とだけ言って、何もしない。「とりあえず、警察に連絡するとかはしないんですか」。「まあ、じゃあ、連絡しときます」。
服装だとか、何も聞いてこない。たぶん、あのおっさんは何もしないだろう。こんなんでいいのかね。

結局、市橋容疑者は身長が180センチぐらいという話を聞き、その男性はおそらく173センチぐらいだと思うからかなりの可能性で別人であったようだ。あらぬ疑いをかけてしまった男性には、直接、問い詰めたわけではないが申し訳ないことをしてしまった。この場を借りてお詫びします。

俺の健康自慢(青木功著・角川書店) [掲載誌情報]

構成を担当した「俺の健康自慢」(青木功著・角川書店)が発売中です。興味のある方はぜひ!
しかし、本ができあがってくるのは毎度、嬉しい瞬間なのだが、帯に「メタボリックは許せない」とある。
……。分かっている。誰よりも自分が分かっているさ。

月曜日は、六本木のグランドハイアット東京で、北海道日本ハムファイターズの中田翔と東京ヤクルトスワローズの佐藤由規(登録名・由規)の対談。二人とも、約一年前に取材しているのだけれど、当時の印象より大人になったなと感じたのが中田。言葉に説得力がある。奔放な発言をして、マスコミにたたかれ、怒られ、そして成績が低迷しつつ、今、上昇気流の中にある中田だから、もまれて分別が付くようになったということか。言葉を選んでいるんだけれども、マスコミが喜びそうな言葉もしっかりと使う。1年生の頃から甲子園をわかせて甲子園には3度出場しているけど、最後の夏は大阪府大会決勝で敗退。「他の思い出をすべてなくしてでも、最後の大会には出たかった」と。「どのようなホームランが好きか?」と訊ねたら、「弾丸ライナー、レフトスタンド一直線」と答えた。個人的には滞空時間の長い本塁打の方が、ホームランバッター然としていると思うけど、やっぱり中田は「ボールをしばく」感じなのね。Kのようにならず、ずっと今のように口を開いてね。
対談終了後、ハイヤー乗り場で二人を送っていると、そこに前々日に試合を行った中田英寿が出現。お、めったにみられないW中田だ、などと思っていたが、御仁はマフラーをなびかせ風のようにホテルの中に入っていった。いや、マフラーはしてなかったかな。一人で行動していたのがちょっと意外。

水曜日は小川直也を取材。雑誌はこてこての専門誌だけど、気さくで楽しい取材。柔道の戦歴を調べていて、全日本選手権を7度制するなど、山下以降、柔道界で突出した成績を残しているにもかかわらず、プロ転向により腫れ物のような存在になっていることを残念に思った。プロレスラーとしても活動しているけど、現在は茅ヶ崎で小川道場を開き、柔道家を育てている。そういった活動も注目されていくといいけど。

北海道日本ハムファイターズ社長のノンフィクション [掲載誌情報]

今日発売の月刊現代にて、北海道日本ハムファイターズ藤井社長のノンフィクションを書いてます。K社の23歳、夜にもなれば片腹痛しの奇人・T村くんとの力作なので、興味のある方はご一読を。仕事としてとっても楽しかったので早く新しい企画を立てて次に取りかかりたい次第。

「絆 佐賀のがばいばあちゃんと宮崎のてげなかあちゃん」(徳間書店)が発売中です。「絆」という一文字でネットで検索するとなかなか出てこない。これ、けっこう痛いな。ぱっと耳で聞いて調べようと思っても出てこないのだから、タイトルとしてはまずいのかも。うーむ。
ただTBS感謝祭やサンデージャポンでも紹介されたので反響あるといいなあ。

てなわけで、必死で次作の書籍を書いとるわけです。その狭間で、次々と書籍の仕事が舞い込んでくる。この分でいけば、年頭に立てた書籍7冊の目標を達成できそうな気配だけど、北京五輪で一ヶ月つぶれることを考えれば、安易にオーケーが出せない。いっそのこと自分もボイコットしちゃって書籍に専念した方が生活は楽になるのかな。嬉しい悩み。と、これを書いていると、以前、取材していた方から電話が入り、「俺の恋愛についての本を書いてくれ」なんて話まできた。さすがに北京までは無理なので、丁重にお断りした上で、改めて今手もとにある仕事に向かうのである。

「Number」「アサヒ芸能」 [掲載誌情報]

前者(木曜発売)ではハンドボール・宮崎大輔選手のインタビューを、後者(火曜発売)では映画監督・崔洋一氏の酒語りをやっておるです(発売日はいずれも東京時間)。相変わらず、取材対象の統一感のなさ。でも仕事、楽しいっす。

これから大阪へ。全身に徒労感。取材よりも、書籍執筆のプレッシャーに、いや編集者の見えない圧力に怖々しとるです。
まさか、書籍やらなければならないのに、こんなにも出張しているなんて、担当編集者は知る由もないだろうな。このブログを見てくれてなけりゃあええが。以下、弁明——とにかく、書籍もちゃんと書いています。峠はもうすぐ越えます。もうしばしお待ちを……。

今晩は、元阪神の川藤幸三氏をインタビュー。アサ芸の酒語り連載です。そのまま、明日から宮崎へ。ふぅ。やっぱり、自腹切ってでも、昨日は大阪泊にしとけば良かった。失敗。


島田洋七さんと小島可奈子さんの対談 [掲載誌情報]

が今週発売のアサヒ芸能に載っております。興味のある方はぜひ。

5日の昼に抜歯しました。しかし、最近の歯医者さんってすごいね。まず診療台が180度になる。昔は、リクライニングのような形でアゴを上方にあげて診療を受けていたから苦しくてしょうがなかったんだけど、180度、つまり仰向けになった状態での診療だから呼吸もラクになったような気がする。んで、抜歯時の麻酔。それが自動制御の注射器になっていて、麻酔薬の量を調節できるようになっていた。あ、レントゲンも、パソコンの画面で確認できるようになっていた。医療と科学はセットっすね。ただ、歯形を取るのは、昔と変わらず、粘土みたいなのを口に入れる方法だった。あれって、気持ち悪いんだよな。

で。抜歯は痛みを感じることなく終了。ただ、ボロボロの歯ゆえ、表面に出ている部分だけが割れて取れ、根っこの部分だけが残ってしまって先生もちょっと手こずった様子だった。それも無事に取り払われ、傷口を縫っておしまい。麻酔が抜けたあとも、まったく痛みを感じることがなかった。はやく、新しい歯が欲しいです。

いつかテレビ評の仕事をしたいので、正月のテレビ番組について思うところを書こうと思ったのだけれど、面倒くさいのでやめときます。ただ一つ、のだめだけが救いでした。


近況 [掲載誌情報]

先般、以前勤めていた出版社から電話が入る。「何事かな?」「また(知的財産横領で)訴えられそうになるのかな?」などと一瞬思ったが、何のことはない、自分が使った写真の出所を確かめる連絡だった。「お久しぶりです。で、●●で使った写真は……」と近況を話す間もなく要件を伝えて終わり。

最近、よく考えるのだけれど。あの会社で学んだことなんてなかったな。原稿の書き方や書いた原稿に対する指導なんて、まったくなかった。良い作品を作る、ということに関して、意欲やこだわりを持つ社員のいない会社だった。経費を徹底的に削られ、給料も低い。社員は月極の仕事をただこなせばいいだけの会社だった。雑誌作りのイロハを学んだつもりでいたけれど、フリーとなって他のメディアと接するうちに、かの会社のやり方がいかにいい加減であったかを知った。反面教師にしている、ということで言えば、学んだことはあったのかもしれないけど。
だから自分のプロフィールを書く機会に恵まれても、「出版社勤務を経て……」とだけで会社名は書かない。

で、改めてつくづく思うのだ。「自分はいつ文章を書くことを学んだのかな?」って。センター試験は確か80点ぐらいだったし(200点満点)、大学のレポートもいつも資料の丸写しをしていた。学生時分にアルバイトで格闘技雑誌の編集部に入り、たまーに小さな原稿を書かされることがあったのだけど、その時は「確固たる自信」とか「持ち前の右ストレートで」とか、ありきたりの常套句しか並べられずよく怒られていた。
その後、上述の出版社に2年半ほど勤務。
それでよくフリーライターになろうと思ったものだ。つまり、自分は文章を書くということのバックボーンを持ち合わせていない。
フリーとなって4年が経った。ようやく、仕事も安定してきたと言えるかもしれない。最近、原稿を褒めていただけることも増えた。それはそれでとっても嬉しいのだけど、褒められれば褒められるだけ戸惑うこともある。だって、「今だってぜんぜん日本語のこと、分かりません」と断言できてしまう自分がいるのだ。「どうやって文章を書くのですか?」と訊かれる。するといつも「取材したことを、パズルのように組み合わせていくだけ」と答える。だって、そうなんだもの。この4年間は勢いとやる気だけでなんとか乗り切ってきたような気がする。今後は、作家としての色をつけていかなきゃなと思っている。だから、これまでのやり方じゃだめだろと思っている。なんというのかな、柳川悠二が書く文章を確立していかねばならんでしょう。
なんとなく、08年は転換期かなと思っている。

さて、ブログがご無沙汰でした。先々週は宮崎〜佐賀と取材で周り、先週火曜日までは忘年会に五夜連続参加。おかげさまで風邪をひき、その後の年末進行特有の取材ラッシュ、執筆ラッシュをへとへとになりながらこなす。んで、再び15日から宮崎へ。当初、16日に入る予定だったけど、風邪がひどく、体調万全で臨みたいがために前日入り。しかし、夜の街を謳歌してしまい、結局、体調は回復せず……。
16日は東知事をファーストシングルのジャケット写真に使ったファンキーモンキーベイビーズのライブを見て、その後、東知事と彼らとの対談の司会。しかし、ファンキーモンキーベイビーズの到着が大幅に遅れ、ひやひやながらなんとか終了。夜は地元メディア主催の打ち上げに参加。

今週発売の週刊朝日に東国原知事と佐賀北高の記事を、さらにアエラには柔道の中村美里について書いています。
これから島田洋七さんと小島可奈子さんの対談を品川のホテルパシフィックで。こちらはアサ芸の新春号かな。


「ニッポンを繁盛させる方法」(角川書店)は10日発売です [掲載誌情報]

ニッポンを繁盛させる方法 (角川oneテーマ21 A)

ニッポンを繁盛させる方法 (角川oneテーマ21 A)

  • 作者: 島田 紳助, 東国原 英夫
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2007/11/09
  • メディア: 新書

30歳最後の日の5日に、角川書店から10日に発売される「ニッポンを繁盛させる方法」(島田紳助・東国原英夫著)が届く。うん、いい感じ。しかし、危なかった。自民党と民主党がもし手を組んでいたのなら、この本の中身がえらくアウトオブデイトな内容になってしまうところだった。一安心。小沢氏に関する言及はなかったし、この政局の混乱は本の販促を後押ししてくれるのではと逆に期待。夜、担当編集者と早くも次回作についておでんを食べながら打ち合わせ。最初はあまり乗り気ではなかったのだけど、企画を考えるうちに実現させたくなった。22時30分からは、僕の髪の毛を切ってくれている親友のお兄ちゃんが誕生日をお祝いしてくれた。おでん食べたあとだったけど、けっこう普通に焼き鳥をたいらげて、胃袋にびっくり。へべれけになって3時頃帰宅。

誕生日の6日は6時起床。二日酔いだけど、昼までにやっつけなきゃなんない仕事があった。世界選手権で優勝した棟田康幸のインタビュー原稿。その後、ディズニーシーへ。何年ぶりかな。確かできてすぐぐらいの時期だった。しかしああいった場所は、6歳児には6歳児の、高校生には高校生の、そして31歳には31歳なりの楽しみ方があるのね。パレードが始まるのを尻目に六本木へ。日付が変わる前に世田谷へ。近所のバーのマスターが誕生日のお祝いでシャンパンを用意してくれていて、それを飲んで帰宅したのが1時半頃。楽しい一日でした。
新刊の新書、30万部ぐらいいって欲しいなあ。


アエラ・現代の肖像 [掲載誌情報]

は、僕がもっとも大事にしている仕事の一つだ。以前、横峯良郎さんと東国原英夫宮崎県知事を書いたんだけど、月曜日発売のアエラで3人目の人物を描いている。対象はボストンレッドソックスの岡島秀樹。
このページは、はっきり言って、高いレベルの原稿を求められる。それは、すべての雑誌の中でも1、2位を争うものだと思う。いや、ほんとに。
有名なページだし、執筆者のプロフィールも載るから注目してもらえるんだけど、その分、原稿には神経を使う。今回も、結局、書き始めてから校了まで20日ぐらいかかった。いつも思うけど、たった350行ぐらいの原稿なのに、書籍を一冊書くぐらいの神経を使う。
だからこのページを校了すると、なんか、ものすごく文章がうまくなったような気がする。厳しいんだけど、楽しい仕事なのだ。
まあ、個人的に思うところはいろいろとあるのだけれど、読んでみてください。もはや自分ではよく分からなくなっているけど、新聞やスポーツ雑誌とかでは触れないようなことも書いているはずなので。

先週はほぼ宮崎にいて、来年1月頃に発売の小説の取材と、来月10日に発売する書籍『ニッポンを繁盛させる方法』(角川書店)の校正作業でした(買ってね!)。そして、父親が倒れたために実家に一日だけ帰ってお見舞いにも行きました。んで、金曜日に東京に戻ってきて、土日は空手・新極真会の世界大会取材。
もう、「忙しい」という言葉を使うことはやめました。この状態が忙しいのではなく、普通のことにしないとね。
そんなわけで、とりあえず、アエラを読んで見てください。感想いただけると幸いです。


正夢!? [掲載誌情報]

三日ぐらい前に夢を見たのだが、今の自分の置かれた状況を物語っているかのように、クビを長くして僕の原稿を待っている編集者のみなさんがフルキャストで登場したのである。何より強烈だったのは朝日新聞の編集者に言われた一言。
「柳川さん、何ですかこの原稿は!? 失語症にでもなったんですか」
失語症の方、ごめんなさい。これはあくまで、「原稿がつまらない」という意味の隠喩であります。んで、「ちょっとデスクに代わります」と言って、なぜか(現実にはいるはずのない)アメリカ人のデスクがいろいろ言うのだ。意味の分からない自分は、「ぱーどん?」を繰り返し、最後はがちゃっと切られてしまう。
そこで起床。
う〜ん、意味深だ。

来週火曜発売のアサヒ芸能で、島田洋七さんのインタビューやっています。女性は誰かにお願いするなりして(笑)、手にとって読んでみてください。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。